幸せとは何だろう。
長い間考えてきたことです。
いつも考えているわけではないですが、「私、幸せ!」と思う度、考えていました。
その答え、最近こういうことかなと思う瞬間がありました。
摂理の賛美に「私は幸せだ」という曲があります。
その歌詞には
「人々、私を不幸と言うけれど、いいや、私、幸せな人。」
とあります。
そうです。
「自分は幸せだ」と思えるかどうかではないか。
自分と全く同じ立場、同じ環境という人は、双子であろうともいつも一緒にいる親友であろうとも愛してくれる親であろうとも、1人もいないということです。
だから、自分の価値観を押し付けてはいけないし、相手の気持ちをすべてわかることはできないのです。
比較するものでもないことは言うまでもありません。
自分が与えられた環境で、自分が行った行動で、幸せと感じられるかどうか、ということだと。
例えば、Aというものを持って幸せだという人がいます。
では、Aというものを持っていない人は不幸なのでしょうか。
そんなことはありません。
Aというものを持っていない人は、Aというものを持たない幸せを知っているのです。
Aというものを持たない人が、Aというものを持たないことを不幸と思うなら、その人は不幸なのでしょう。
自分が思ったことが答えだと思ったんですよね。
思い込むことや洗脳されることではなく、
信仰とはある意味、そういう自然な思いではないかと思います。
押し付けになってはいけませんが、
不幸と思うより幸せと思う方がいいと思うので、
多くの人が「自分は幸せ」と思える世界になったらいいなと思います。
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