この前、摂理後輩のワイちゃんに
「さくらさんは自由なので、私にも移っちゃいました〜」
と言われました。
ワイちゃんは、ワイちゃんが新入生だった(御言葉を聞き始めた)ころ、お世話をしていた子です。
お世話をしたといっても、連絡を取ったり、ワイちゃんの車の助手席にしょっちゅう乗せてもらっていただけですが 笑。
ワイちゃんから見る私は、自由人のようです。
私は、自由に動き回るのが好きで、家にずっといるのは苦痛です。
お休みの日、用がなくても毎日必ずお化粧をし、近所のカフェとかにお出かけしちゃいます。
旅行とか行きたいところがあったら、海外であっても計画的に訪れます。
夫も同じ傾向があるようで助かります。
こういう摂理人はたぶん多数派ではないようです。
摂理の中にも本当にいろんな人がいて、その人数分だけ個性が存在します。
近くにいる人の影響を受けることもあります。
特に、新入生の頃や摂理に来て間もない頃は少なからず近くにいる人の影響が及ぶことでしょう。
摂理のイメージが作られる時期だと思います。
え、そんな摂理人もいるんだ、って数年経ってから気づくこともあります。
何が言いたいかというと、ある1人の摂理人が見た(知っている)摂理が全てではないということです。
人とは、なんて固定観念の生き物だろうと思う瞬間があります。
友人からこんな話を聞きました。
Googleで検索して上位にあがってきたのは、Googleが書いていることだから信頼できると思ったという人がいたそうで。
いやいや、Googleは検索エンジンを提供しているだけで、Googleは書いてないですよー。
信頼できるかは、内容の合理性であったり、事実との整合性で決まるものでしょう。
固定観念って知らない間にできてしまうんですね。
摂理、と聞いてもイメージは人それぞれで、関わり方も人によります。
変わらないのは、神様を愛してよりよい人生を送ろうとしているということでしょうか。
オタク系の方もいれば、アウトドア系の方もいます。
仕事が苦手な人もいれば、仕事が好きな人もいます。
いろんな摂理人と会ってみると面白いです。
摂理のイメージは、〇〇。
皆様はどういうものをお持ちですか?
そのイメージ、固定観念かもしれませんよ。