いじめやいじめを苦にした自殺のニュースを見ると、とても悲しくなる。
どうして人が嫌がることができるのだろう。
傷つくことをするのだろう。
小学生や中学生、高校生といった子どもがするのだ。
自分がされて嫌なことを。
将来有望な若者が命を落としたり、学校に通えなくなるという話を聞き、本人や遺族の無念を思うと悲しまずにはいられない。
涙が出る。
いじめは昔からある。
私が子どもの頃からその類のニュースは聞いたことがある。
どうしてなくならないのだろう。
いじめをしても本人の幸せが増えるわけではあるまい。
ましてや、学生の本分である勉強がよくできるようになるわけでもあるまい。
大人になってからも職場でいじめを受けたという話を耳にしたことがある。
はあ、いじめなどしても生産性は一つも上がるまい。
私は幸いにもいじめにあったこともなければ、近くで起こったこともない。
少なくとも私の気づく範囲ではなかったと思う。
感謝すべきことである。
申し訳ないが、私は教育現場に関わる人間でもなければ、いじめ現場に関わる人間でもないため、いじめ撲滅!と言っても何もできる立場にはない。
悩んでいる人がいるならば、私にできるのは「摂理の御言葉聞いてみて^ ^」と言うことくらいか。
知らないことが多いもの。
お祈りは神様との対話。
誰にも言えないことは神様に言います。
いじめがなくなるように祈りを捧げ、しっかりとした見識を持って、感謝して生活しようと思います。