摂理の子供 キリスト教福音宣教会〜すくすくの雲
小学4年生のよつばちゃんが書いたこの記事↓↓
このよつばちゃんの記事を読んで、「私も昔同じこと思ってた」って思い出しました。
小学生の時が一番悩んでいた気がします。
でも、なぜだろう。
悪口が気にならなくなったのは。
環境がよくなったから?
確かに、高校、大学といい友達やいい先生に恵まれたと思います。
就職してからも、仕事ややり方に対する不満はあっても、人に対する不満はほとんど感じなくなりました。
周りに善評する人、施しをしようという人が多く、本当に感謝すべきことに、仕事や同僚に恵まれたと言えると思います。
でも、最も大きな変化は自分の内面の変化だったのではないかと思うのです。
もちろん自分の変化とはいえ、回りの影響もあってのこと。
摂理で見えないけど生きていらっしゃる神様のことを教えてもらってから考え方が変わりました。
◆人の目や言動を必要以上に気にしなくなった。
自分が思うほど、人は自分のことを見ていないし、見ていても忘れます。
いつも愛してくださる神様に感謝すると他の人の目が気になりません。
人がどう思うかということが判断の基準になると苦しいですよね。
◆何をすべきか明確になったから。
これは特に、社会人になってからわかるようになりました。
社会におけるルールや自分の立場がわかり、現状もだんだんわかってきて、自分のやるべきことが明確になってきます。
基準がすっきりするから、周りで文句や悪口を言っている人がいても、その人はその人だし、できないものはできないと割り切れるようになりました。
長い年月をかけて私に必要なことを教えてくださったから、わかるようになりました。
2017年6月4日 主日礼拝の御言葉より抜粋
いつも<必要な人>だけが待っていて、探し、やきもきし、喜びます。
なんでも自分に必要でなければ、待ってもいないし、探しもしないし、やきもきもしないし、関心もありません。
生活の中で、行えるように助けてくださったから実感が湧き、身になるのだと思います。
これからも生活の中で行ないつつ学ぼうと思います。
学んでも自分が行なってみなければ「感覚」がない。自分が行ないつつ学ぶことだ。