摂理に来る(呼ぶ)ことを伝道される(する)といいます。
摂理に来たきっかけは人それぞれです。
いわゆる勧誘されて来た人もいれば、紹介という形式で来た人もいます。
自ら連絡して来る人も稀にいます。
私は、勧誘の方かな。
勧誘という言葉に警戒感が出てしまうのは私だけでしょうか。
摂理での勧誘って?
私の場合で説明してみたいと思います。
聖書の話聞いてみない?と誘われて、御言葉を聞くようになりました。
聖書の話と言われたとき、ん?聖書?宗教かな?と心の中で警戒警報が発令されました。
が、声をかけてくださった方への信頼があり、まあせっかくだから勉強になるしと思ったので、聞くことにしました。
社会人になって、より広く社会が見れるようになったときに、勧誘って実は普通のことだと知るようになりました。
企業でいうと、営業とも言いますよね。
摂理ではない宗教の勧誘を受けたこともありますし、ビジネスの勧誘の場面に遭遇したこともあります。
ありとあらゆる勧誘がこの世に存在すると知りました。
大事なのは、勧誘を一方的に拒否することではなく、勧誘を受けたときにしっかり自分で判断できるかどうかだと思います。
判断の結果、断ることができるのであれば、勧誘自体に問題はないでしょう。
摂理の勧誘は自分の意思で断ることができます。
怖くないです。
こんなに怖くない勧誘もあるものかと思うほど。
私の知っている摂理の人はいい人ばかりですから。
私は仕事でも勧誘したりします。
自分に合っているかどうかしっかり判断していただければいい、といつも心から思っています。