日々感じること

生きるのに芯は必要なのか

生きているといいことも悪いことも、ありますよね。

 

いいときはいいんです。

問題は悪いことが起こったとき。

どう行動するか。

 

また、判断基準の問題もあって。

自分がいい悪いをちゃんと区別できるのか。

その判断が正しいのかどうか。

 

 

流されて生きる生き方もあるけど、自分の考えをしっかり持って流されないで生きる生き方もあります。

どちらがいいのでしょうか。

 

流れに乗った方がいいこともあるし、おかしいなと思うことには流されない方がいいときもあると思います。

 

いつも誰かに尋ねるわけにはいきませんから、

自分の力で正しく判断したいです。

結局、その時その時の判断がちゃんとできることが重要というわけです。

 

私は結構はっきり言ってしまうことがあるらしいんです。

自分としては普通に話しているんですが。

でも、周りの人がいい人ばかりで受け入れてくれます。

ありがたい。

 

私の部署の責任者や上司にも言っちゃうし、教会の指導者の方にも、友達にも。

 

 

そこに愛(思いやりや優しさ)があるか。

言うだけでなく、行動しているか。

 

とどのつまり、それが大事なのではないかと思います。

それを繰り返すうちに自ずと良い芯ができてくるのではないかと思っています。

芯があると、流されるときも流れに逆らうときも、自分の行こうとする先が見えやすいからいいのではないかと思っています。

 

皆様、いかがでしょうか。

コメント

    • シロ
    • 2018年 1月 23日

    「芯があるかどうか」と同じくらい
    「どんな芯を持っているか」が
    だいじだなぁと 教えてもらいます。

    その都度 その都度 柔軟に 
    行いを ともなって

    私も「芯づくり」励んでいきたいです^^

      • sakura
      • 2018年 2月 01日

      一歩ずつですよね。
      でも、シロさんにはステキな芯がありそうです。

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